野うさぎのあじと

日々徒然なるままに

🍥

個性に貴賎はないということ。

自分は自分でいていいと言うことを知りました。

 

ジャンプの連載が終わって、一日一話のアプリが出たことをきっかけにNARUTOを初めて読みました。最後まで夢中になって駆け抜けました。

 

読み始めて最初、サスケくんが好きかもと思いました。

その次にカカシ先生が出てきて、カカシ先生かっこいいなと思いました。

読み進めるうちにナルトが大好きになりました。

その内、イタチ兄さんがいちばん美しい人と思いました。

私が一番苦しいとき、サクラちゃんが私の生きる勇気でした。

その次はデイダラ先輩が一番かっこいいと思いました。とても美しい心を持っていると思いました。

登場人物が出揃う頃、一番好きなのは誰だろうかと考えました。

ナルトもサスケもサクラちゃんもイタチ兄さんもデイダラ先輩もオビトもシカマルもいのもカカシ先生もヒナタも香燐も大好きでした。

他にも好きなキャラはもっとたくさんいて、むしろ嫌いなキャラがいないくらいで、これは順番がつけられないと思いました。

そして気が付きました。

みんなとんでもなく魅力的だということ、順番なんてないということ、いろんな魅力があって、それに優劣はないということに。

「それぞれ個性があって、みんな素敵」

小学校の道徳で習った気がします。

文字にするとすごく当たり前。

でも実際に小中高という小さな社会で刻まれるのはそれとは真逆の価値観です。

屏風に描いた餅のように他人事でした。

でも、やっとその時分かったんです。いつも上滑りしていた当たり前の言葉に、中身が注がれたようでした。

個性を認めてもらったことがないことに気がつきました。どんな自分になれば存在を許されるのか、邪魔にならずに済むのか、努力してきました。

今でも、自分が自分であることを許すことはすごく難しいです。

でも、私が私でいていいと、全ての個性は尊重されるべきものであると、知ることができて本当に良かった。

心から岸本先生を尊敬しています。

ナルトたちを生んでくれてありがとう!

それでも死なないでなんて勝手なことは言えないけど

歩き方とか、立ち上がり方とか、瞬きのタイミングとか、そんなことまで間違ってるような気がしていた。
何が正しいのか、誰か教えてほしかった
探して考えてやってみてどうしても、どうすれば存在していい存在になれるのか分からなかった。

 

自由でよかった。

何年もかかってやっと分かって、それでもまだ何度でも迷うきっと

 

それは、自分が納得できればよくって、何度でも変わってよくって、間違えてもよくって、たとえ毎時変わってもよくって。

そうやって間違えたり納得したり、無意識だったりなんでもなかったり、変わりゆく自覚さえない全てが、自分自身なんだということ。

生き方に正しさなんてなくて、自分が認められる自分自身と、認められなくてもがくその姿こそが、真実だということ。

人の気持ちを尊重できさえするのなら

他人の価値観で自分の価値を決めるんじゃないよ

誰のために生きてる?

他人の忠実なエキストラじゃないでしょ

型にはまってもいい、はまらなくてもいい

時々はまってもいい

演じたいなら演じればいい

演じたくないなら自然体でいい

日によって変わってもいい

いつでも自由でいいよ。

「したたか」に本来ずる賢いという意味はない

まともじゃない人に正攻法で向かっても無駄ですよね

まともじゃないから

 

全ての人に誠実に向き合おうとするから

死にたくなるんだよ

賢く切り捨てよう

叶わなかったりする

除け者とかじゃないけど、心の通うところには入れない苦しさとか絶望とか

 

苦しいよな…誰かの幸せの裏には誰かの悲しみがあるっていうのもそう、巡り巡ってみんなが幸せになるっていう希望もそう、でもそれはそう。

絶対的な自信がだいじ

自分の意見が絶対正しいとかじゃなくて

自分の存在に絶対の自信を持つこと

言動に責任を持つこと

昨日までそこに居た人がひょっと行ってしまう

越えてはならない境界線を越えて

嫌でも引きずり込まれてしまう

ロマンチックなドラマなんかじゃ決してない

生々しい恐怖

終わりから逃げられない絶望とその時に滲み出る悲痛な愛情と