野うさぎのあじと

日々徒然なるままに

写真をとりあえずめっちゃ撮る理由の1つとして

1つの要因であり、当てはまらない人もたくさんいることを前提にして、思うことを書いてみようと思う。

 

何でもとりあえず写真を撮るのは、"今現在ここにある自分"を信用できないからではないか?と。

自分にもそういう時期があるし、時期でなくてもモノによってコトによって目の前にあるものに感じ入るのを未来の自分に託すことがある。

 

今この感動に耐え切れる自信がない、来るであろう衝撃を受け止め切れる自信がない、

後でみよう。とりあえず確保して

 

たとえば、推しの新情報とか。

推しのSSRとか。

公式からの衝撃的裏情報あるいは供給過多とか(幸せ)

 

そういうたまにある、イベント的なものは心の波の落ち着く時を待っていざ尋常に挑むとして。

その後回しが癖になった場合に、今ここで目の前のフォトジェニックスウィーツを五感で楽しむ勇気がなくて後で観られるように完璧に保存したいのではないかと。

 

もちろん存分に目で舌で鼻で楽しんで、さらにその時のことを鮮明に思い出せるように記録もしたいんだ、と言う人は多いだろうし、写真を撮る根本的な理由はそれだと思う。

ただ、こういう症状?もあるのではないかな?(少なくとも自分はそういう時があるので)という気づきの備忘録としたかった次第。

 

 

何か忘れてる気がする

その感覚の答えが分かった気がするんだけど

 

「痛み」ではないでしょうか

 

もうずっと長い間、痛みと共にあった

だから今傍に痛みがないことが

何かが欠如したような寂しいような不安なような

そんな感覚を起こさせてるんじゃないかと思います。

 

そう、言わばそれは口内炎

ほら曲にもあるし

『とても痛い痛がりたい』

完璧な親なんてもちろんいないけど

私の気持ちを認めてくれたことがあったの

感情を受け止めてくれたことがあったの

考えも自然に湧いた感情すらも否定して批判して、自分の知ってること以外は全て私が悪いの

いつも私が悪くて、私がおかしいと思ったことはいつもおかしくないの?

いつもあなたが正しいの?

一度でも気持ちに寄り添って欲しいと思うのは我儘ですか?

愛されてることもわかってるし、私のしたいことを可能な範囲で尊重してサポートしてくれるところはとても有り難くてそこのところ親の鑑だと思ってる。

だから、完璧な親なんていないんだよね。分かってるつもり。

でもいつも悲しくなる。親の影響力ってやっぱり甚大みたいで、どうしたって傷付くし呑まれそうになる。親の言ってること全てが正しいわけじゃないって分かるようになってからも。

私にもいいところがあるよ。

私も頑張って生きてきたよ。

私も色々考えて自分なりの価値観を持ってるよ。

危ういところは確かにあるかもしれないけど、何かに感動する感性ってきっと私の長所だと思うよ。

深く考えるって悪いことじゃないよ。

私ってたぶんそんなに悪い子じゃないよ……

私も傷付くことがあるよ、もういいけどね

ここで言えたから。

いつまでだって傷付いてやるせないね

大丈夫大丈夫、大丈夫だよひとりじゃないよ

私の中には沢山の大好きな人たちがいるから。

会ったこともなくても、同じ時代に生きたことがなくても、たしかに私に影響を与えてくれた人たちが、尊敬する人たちと大好きな人たちがここに居てくれるから。

ひとりじゃない

苦しくない。

寂しくないよ

 

泣かないで大丈夫だよ

ひとりになったら泣けばいい

 

私は悪くないよ

何も悪くない

だから何も気に病むことはないんだからね

しっかり考えてて偉いと思う

間違ってるのかもしれない、未熟なのかもしれないそれでも一生懸命自分で考えようとしててそれって批判されることじゃないよ

何かおかしいと思うなら、きちんと教えてくれればいいのにね。

夕日が綺麗だと思ったことも、生命の神秘を感じたことも、未熟ながら政治について意見を持つことも、わるいことじゃない、わるくない

悪くないって分かったんだから大丈夫よ。

怒られるようなことしてない

 

勉強するのは考える力をつけるために大事だからよって言うくせに、自分の力で本当に考えてるの

みんなそうだからいいなんてそんなことない

悪いことが多かったら余計悪いし、人と違うことは批判されることでもなんでもない

そんなのただの日和見じゃないか

結局大衆の影に隠れて、道ができた後から大きな顔してるだけじゃない

自分の頭で考えてるから、マジョリティかマイノリティかなんて関係ない、どっちの中にも正しいものと正しくないものがある

自分の頭で考えてるからマイノリティになることもあるし、前人未踏の場合もある

どんな時代の変化にも最初があったはずだもの

理由を聞いても「なんとなく」で散々悪者扱いしといて、メジャー化した瞬間に我が物顔で語るなんてひどい

他人との境界線について

嫌だっつってんだから嫌なの。

大変だって言ってんだからその人は大変なの。

苦しいって言ってるんだから苦しいし、綺麗だと言うならその人には綺麗に見えてるの

なんであんたが、私にとってあの子にとって誰かにとって、なにが大事か何が痛いかそれがどれだけ重みのあるものか、勝手に決めるんです?

母たる人の一人育児が大変だと言ったら大変なのよ、「自分は腕力があるから子どもを抱くのがさして大変でない」とか誰も聞いてない。

あなたの話はしていない。大変じゃないならあんたがやれば良い

沖縄の人が怖い不安だと言ったら怖いし不安なんだ、「人が死んでないからいいでしょ」なんて安全圏にいる外野の主観でしかないでしょうが。渦中にいるのは沖縄に住んでる人なんだよ!

女の子が嫌だやめてほしいと言ったら嫌だし恐ろしいんだ、「解らない」じゃない。だからあなたの意見は聞いてない。

分からないから言葉にして嫌だって言ってる

 

自分のことしか考えられないなら大人を名乗るな!社会も他人もあなたのママじゃない。

吞み込める夜(タイトル▶︎フリーゲームibより)

心臓の中に夜が詰まったみたいに

動脈から滴り落ちるほど満たされてしまって

無性に悲しくて

真っ暗な窓の外に飛び込みたくなる

他の臓器まで全部夜に溶けてしまえばいいのに…!

🍥

個性に貴賎はないということ。

自分は自分でいていいと言うことを知りました。

 

ジャンプの連載が終わって、一日一話のアプリが出たことをきっかけにNARUTOを初めて読みました。最後まで夢中になって駆け抜けました。

 

読み始めて最初、サスケくんが好きかもと思いました。

その次にカカシ先生が出てきて、カカシ先生かっこいいなと思いました。

読み進めるうちにナルトが大好きになりました。

その内、イタチ兄さんがいちばん美しい人と思いました。

私が一番苦しいとき、サクラちゃんが私の生きる勇気でした。

その次はデイダラ先輩が一番かっこいいと思いました。とても美しい心を持っていると思いました。

登場人物が出揃う頃、一番好きなのは誰だろうかと考えました。

ナルトもサスケもサクラちゃんもイタチ兄さんもデイダラ先輩もオビトもシカマルもいのもカカシ先生もヒナタも香燐も大好きでした。

他にも好きなキャラはもっとたくさんいて、むしろ嫌いなキャラがいないくらいで、これは順番がつけられないと思いました。

そして気が付きました。

みんなとんでもなく魅力的だということ、順番なんてないということ、いろんな魅力があって、それに優劣はないということに。

「それぞれ個性があって、みんな素敵」

小学校の道徳で習った気がします。

文字にするとすごく当たり前。

でも実際に小中高という小さな社会で刻まれるのはそれとは真逆の価値観です。

屏風に描いた餅のように他人事でした。

でも、やっとその時分かったんです。いつも上滑りしていた当たり前の言葉に、中身が注がれたようでした。

個性を認めてもらったことがないことに気がつきました。どんな自分になれば存在を許されるのか、邪魔にならずに済むのか、努力してきました。

今でも、自分が自分であることを許すことはすごく難しいです。

でも、私が私でいていいと、全ての個性は尊重されるべきものであると、知ることができて本当に良かった。

心から岸本先生を尊敬しています。

ナルトたちを生んでくれてありがとう!